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自分が体験したこと、自分の頭で考えたことを書きます

一連のワタミ騒動で思うこと 

女性社員の自殺の労災認定に対して渡邉美樹氏の、
どこか常識とズレているようなツイートにネット上で強い反感が起こり
酷薄で独善的なブラック経営者であると炎上騒ぎとなった。


私は一連の騒動の記事を追いながら何か違和感を感じていた。
どうして崇高な理念を掲げた企業がブラック企業となってしまうのか。
そして、その理由が経営者としての渡邉氏の考える「幸せ」と
一般社員のそれが大きくかけ離れている所にある気がした。
渡邉氏のTwitterでも強調されていたが、
「会社の存在目的の第一は社員の幸せ」という点である。


稀代の英雄 渡邉美樹


渡邉氏は一代でワタミグループを巨大企業に成長させ、
外食産業に留まらず介護サービスや途上国での慈善活動など展開するまさに現代の英雄といえる。
運送業のセールスドライバー、飲食店の現場での下積み時代でも
多くの困難や屈辱を味わったことだろう。
それでも不屈の意思で戦い抜き、胸に宿した大志を絶やさず「夢」を実現させてきた。
常人には決して真似のできない偉業を一代で成し遂げた人物である。
その苛烈な哲学は著書「きみはなぜ働くか」にもよく表現されている。

夢とは、見続けるものではなく実現させるべきものだ。夢に日付を入れて、今日の行動を変えていくのである。
そのプロセスにおいてどうしても計画に狂いが生じてくる。予測不可能な明日なんていくらでもある。
それは、そのつど、計画を書き直しながら進むのだ。ただし、”夢の実現”を決めた日付だけは変更してはならないのだ。

また別のページでは「365日24時間、死ぬまで働け」とも述べている。
つまり氏にとっての幸福とは仕事を通じて夢を実現することであり、
途中でどんなにツラいことがあっても不撓不屈の精神で乗り越えて成長していく事だ。
まさに仕事の鬼。
寸刻惜しんで働きワタミのリーダーとしての仕事が好きで好きで仕方が無いのだ。
そして、氏はワタミの社員の幸せもまた、自分と同じであると考える。
自分の掲げた夢と目標をともに実現し、成長していくことはワタミ社員にとっての
幸せであるという事を信じて疑わなかったのだろうと想像する。


フツーの幸せとは平和な毎日


大多数の人が考える幸せとはどういうものか、私なりの意見を言うと、
多くの人にとって、英雄の一代記のような日々は望んでいないのではないか。
大きなトラブルに遭遇することもなく、面倒な仕事が終わったら
友人や家族、恋人とビールでも飲みながら過ごす、
こうした静かで安心できる生活こそが幸せというものだと思う。
もちろん何かしらの目標に向かって努力したり、人と協力し合う事はあるが、
英雄的な人物と同じくらい激しく厳しいものは求めていないはずだ。


しかし渡邉氏はそんな事は想像もつかない。
人にとって幸せとは自分と同じようなものであると信じて疑わない。
そして夢に日付をつけた経営目標、現場における営業ノルマが現場に言い渡される。
お客様満足度向上、店舗あたり利益率向上などのカタチとなった夢だ。
外食産業において料理を質を維持しつつコスト削減・サービス向上を
しようとすると人件費を削り従業員の負担をあげる方向にしかいかないだろう。
残業代もなく少ない人数で慣れない業務も担当し深夜まで働きつづける。
現場は疲弊して息も絶え絶えになりながら目標を実現しようとする。
そしてまた新たな「夢」がトップから言い渡される。
これでは幸せどころか精神を病み自殺に追い込まれる方がいても仕方がないと思う。


英雄とは常に一握りの存在だ。
しかし渡邉氏は「社員の幸せが会社の存在目的の第一」としながらも、
その幸せの意味を大きく履き違えているのではないか。
しょせん、他人から押し付けられた夢など、苦痛でしかない。
自分の内側から湧き出る思いとシンクロして、その先に幸せが待っていると
信じられるからこそ、同じ夢を追いかけられるのだ。


渡邉氏の罪は、膨大なフツーの従業員を抱えるワタミの経営者として
「幸せ」の意味をはき違えたまま奴隷のような労働を強いてしまったことだ。
誰もが、と同じように生きられるのではないのだ。
人の弱さを、心ではなくロジックでしか理解できていないのだ。