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自分が体験したこと、自分の頭で考えたことを書きます

高速バス事故で考えた、私達の社会の「おかしさ」

先日の関越自動車道で起きた高速バスの衝突事故について。
私と同じく富山に住む方が亡くなったと聞いて驚いた。
そして居眠り運転をした運転手は自動車運転過失致死の容疑で逮捕された。
痛ましい事故を起こした事故を起こした罪は法に則って裁く必要がある。
過労状態での労働をさせることで運送業に求められる安全確保という品質を
ないがしろにしたバス業者も、しっかりと責任を追及されるべきだと思う。


しかし一連の報道に触れて私の中には大きな疑問が残る。
なぜ、片道3500円という低価格で安全性という品質を犠牲にしなくてはならないのか。
私たちが暮らす世の中が抱える「おかしさ」に対する問題意識をもっと強く持つべきではないのか。


端的に言えば、利用者のニーズ(と言う名の愚かな我儘)に無理に応えようとして
起きた不幸な事故であると私は思っている。


どんなビジネスでもそうだが、産業として成熟すると競合他者が数多く
参入、サービスの差別化も難しくなり低価格を唄うことで顧客を引きつけようとするものだ。
しかしサービスの品質とは当然のことながらコストに正比例する。
コストを抑えると品質は下がる。サービスを提供する側も日々の資金繰りに
苦しみながらも口に糊するため、低賃金・長時間という過酷な労働環境で頑張るしかない。

思うに、輸送サービスの品質で安全確保は最も重要な要素だろう。
人命を預かる以上、これに異を唱える人はまずいないと思う。
一方、輸送サービスのコストを構成する要素を思いつく限りで挙げてみると、
高速料金、現地の宿泊費、ガソリン代、バスの維持費、ドライバーの人件費などがある。
バスなど車両は毎年一定額を償却してるし、高速料金とか燃料費は企業努力で
どうする事もできない。一番調整しやすいのは人件費だ。
人件費を削ると、一人で長距離運転を毎日強いられることになる。
そうなると、最も重要な安全性という品質を確保するためのドライバーが
常に疲労を蓄積させた劣悪なコンディションでサービスを提供することになる。
つまり「低価格で品質はそのまま」という事は物理的に不可能なのに、
むやみにそれを要求する利用者の意識の甘さが、安全性を引き下げるという
結果を招いてしまっていると言える。
だいたい上記のような費用項目を少し想像してみれば3500円という料金が
如何に無茶な設定であるか気づく事は簡単なはずだ。
それでも利用者はとにかく安ければ良いと考える。高ければ買わないと突っぱねる。


この風潮は何も高速バスの業界だけではない。
長引くデフレの中で、この社会に暮らす我々はついつい「価格は安く品質は高く」を求める。
企業もまたこのニーズを読み取り、低価格をとにかく強調する。
しかしその陰で苦労するのは社員であり、すなわちこの日本社会で暮らす私たちだ。
私たちは利用者としてニーズという我儘を押し通そうとする一方で、
お客様は神様であるとして、この無茶なニーズに答えようとして低賃金・長時間の労働を甘受せざるをえない。
そんなふうに、交差する縄のような現状の中でお互いの首を締めてしまっているのではないだろうか。
どうして相応の対価を支払うという当然の認識が薄れてしまったのだろうか。
なぜお互いの命を削るような事をしながら日々食いつないでいくだけの余裕しかないのだろうか。


今回の高速バス事故についても中国人運転手と業者の責任追及に留まり、
GWが終わる頃にはメディアも報道しなくなりアッサリと人々の記憶から
消えてしまうのではないかと私は危惧している。
だけど上に挙げたような「おかしさ」を少し考える時間を我々は取るべきではないだろうか。


カネを払うほうがそんなに偉いのか。この疑問が最近よく頭をよぎります。