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自分が体験したこと、自分の頭で考えたことを書きます

フィリピンと日本 英語力の差を生み出すものとは?[フィリピン留学体験記]

 

ここに興味深い調査データがあります。

引用元:Survey: Philippines world’s best in Business English; Malaysia and Singapore not far behind  

 

フィリピンはTOEFLTOEICのスコアについてもアジアのトップ・クラスにありますが

ビジネスにおける英語のコミュニケーション能力も世界的に見て高いレベルにあると

上記 のレポートは示しています。なぜ彼らは英語に堪能なのか?

なぜ私達日本人は学校であんなに必死で勉強しているのにほとんどの人は英語を操る

ことができないのか? その答えとして私が強く感じるのは英語をマスターすることが

フィリピン人にとっては サバイバル、あるいはより良い生活を実現することに直接的

につながっているという事です。  

 

貧困から抜け出すための鍵となる英語

フィリピンでは人口の約10%が国外で仕事をしています。アメリカ合衆国とは植民地

時代に 英語教育を普及させた事から意思疎通もしやすいのでしょう、最も多くの人が

出稼ぎに出ています。 フィリピンの総人口が9,400万人なのでおよそ900万人以上の人

が祖国を離れて家族に仕送りを しています。またフィリピンはGDPの約10%を海外

からの送金(remittance)が占めています。   国内では慢性的な就職難なため、

フィリピンの家庭にとっては家族を一人でも大学に進学させ 海外で働くための

チャンスを獲得することが家族の生活水準を向上させると考えられています。

そのために英語を使いこなせるという事は必須条件、サバイバルのための武器です。

長男長女が下の弟や妹を大学教育を受ける機会を与え、家族の生活費を稼ぐために

しばしば「犠牲」となるケースが多いです。セブで滞在していた語学学校でも

「兄はドバイで 設計技師を、姉はアメリカで看護師をしている」という若い先生に

出会いました。 英語のみならず業務に求められる高い能力を身につけた人材が

「輸出」され世界の各地で 活躍している様子が、先のレポートで挙げたデータととも

にイメージできますね。

英語ができるかどうか。この事が生活レベルに密接に関係している緊張感、

英語学習への必死さはほとんど理解ができない感覚でしょう。  

私もよく理解できていません。

 

学校教育はすべて英語で行われる

またフィリピンでは小学校から英語で授業が行われます。大学での専門的な講義も

すべて英語、 教科書も英語で書かれたものしか利用しません。それでも貧しい家庭

では子供に労働させるため 小学校の卒業率は70%程度です。ですから流暢な英語力は

高等教育を受けた証でもあります。   かつてアメリカの植民地であった時代、学校での

英語教育が導入され今ではフィリピン文化の 一側面として定着しました。

レストランのメニューや道路標識などは全て英語で書かれており、 ハリウッド映画も

字幕なしで放映されています。 セブ滞在時に書店へ行って驚いたのですが、英語で

書かれた書籍しか売られていませんでした。 色んな知識を吸収したい。

 

そんな知的欲求を満たし、より深い知の世界へアクセスするためにも英語は絶対

必要な鍵なのです。   彼らの英語力が高いことはアメリカ企業の多くがコール

センターの拠点を置いている事実からも 推し量ることができるでしょう。  

 

コミュニケーションツールという認識から抜け出せない日本

日本国内でもグローバル人材の育成というのが教育やビジネスの世界でますます声高

に唱えられる ようになってきました。しかし、英語はコミュニケーションツール、

国際的な教養の1つという、 上記のフィリピンでの事情と比較すると緊迫感に欠ける

気がします。 実際のところ日本では英語を一切使わなくとも意思疎通は可能です。

日本国籍をもった人ならば 確実に日本語は通用するからです。雇用に関しても

国内経済が豊かなので、長い間そこで完結 することができていました。

多くの洋画や洋書は日本語に翻訳されるので、英語を知らなくても 海外の知識を

得る事は可能です。(上手じゃない翻訳が理解を妨げることも多いですが。)  

それに日本語の長い歴史が培った知識や教養は日本人の精神面での豊かさの証で

あります。 武士道や禅、茶道のわびさびの心などは一生かかって向き合わねばならぬ

ほどの深さを感じます。 こんな風に、英語がなくともある程度豊かに生活できたのが

これまでの日本でした。 「貧乏から脱出して人生を変えるために英語を!」という

先に挙げた危機感が理解しにくいのも 無理はないことだと思えてきます。

異文化を理解するためのコミュニケーションツールという認識は、おそらく

フィリピンのような 発展途上国で英語を学ぶ人達からすれば実にのどかで

気楽なものだと映るのではないでしょうか。